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2026年、ワールドカップがアメリカ・カナダ・メキシコの北米三カ国で開幕します。4年に一度のこの祭典は、世界中の人々がひとつの話題で盛り上がれるスポーツ最大のイベントです。
しかし、大会が近づくたびにこんなニュースを目にしたことはないでしょうか。
「開催国で人権問題が指摘されている」
「FIFAに批判が集まっている」
ワールドカップを楽しみにしている気持ちとなんとなく気になるその報道のあいだで、もやもやした感覚を覚えた方もいるかもしれません。
その「もやもや」の正体を理解するうえで、近年よく使われるようになった言葉があります。「スポーツウォッシング」です。聞き慣れない言葉かもしれませんが、ワールドカップの裏側で何が起きているかを知るための大切なキーワードです。「グリーンウォッシュ」とも似た概念ですが、「ウォッシュ」という言葉は、サステナビリティ用語で「見せかけ」を意味するネガティブなワードとして知られています。
この記事では、その意味と背景を丁寧に解説します。これからのワールドカップのあるべき姿を一緒に考えてみましょう。
ワールドカップはなぜこれほどの求心力を持つのでしょうか。その理念と歴史・開催国が決まる仕組みを整理することで、人権問題が浮かび上がる構造が見えてきます。
FIFAが設立されたのは1904年のことです。フランス、ベルギー、オランダ、スペイン、スウェーデン、スイス、デンマークの7カ国による小さな集まりとして始まったこの組織は、「スポーツを通じた国際的な連帯」を根本的な理念として掲げてきました。
第1回ワールドカップが開催されたのは1930年、ウルグアイ。当時の参加国はわずか13カ国だったものの、約100年にわたって開催されたことにより、現在は211の国と地域がFIFAに加盟しています。こうしてワールドカップはオリンピックと並ぶ世界最大のスポーツイベントへと成長したのです。
大会のスローガンには長らく「Football Unites the World(フットボールが世界をひとつにする)」という言葉が使われてきました。言語も文化も宗教も異なる人々が、同じ試合に熱狂し、同じ瞬間に喜びや悲しみを共有するというマインドです。ワールドカップが100年近く愛されてきた理由のひとつでもあります。
ワールドカップが生み出す価値は、大きく3つが挙げられます。
カタール2022では、世界人口の約6割に相当するおよそ50億人がなんらかの形で大会に関与し、決勝戦はおよそ15億人が視聴しました。スポーツが生み出す熱狂と物語は、どんなエンターテインメントにも代えがたい体験を人々にもたらします。
また、FIFAはカタール大会で75億ドルを超える収益を上げました。開催国にとっても、スタジアム建設や観光消費など大規模な経済効果が期待されます。「社会的価値」の可能性も見過ごせません。スポーツを通じた健康増進、地域コミュニティの活性化、多様性への理解促進など、ワールドカップは本来、社会課題の解決に貢献できる力を持っています。
この3つの価値が健全に機能するとき、ワールドカップは「誰のためにもなる大会」になり得ます。
開催国の選定は、FIFAの理事会および加盟国による投票をもとに決定されます。立候補国はスタジアムの整備計画や交通インフラ、財政計画などを含む詳細な招致文書を提出し、審査を受けます。
転機となったのが2015年です。FIFA内部で組織的な汚職が発覚し、開催国選定をめぐる票の売買が国際的なスキャンダルへと発展しました。この事件を受け、FIFAは2016年に「国連ビジネスと人権に関する指導原則(UNGP)」を採用し、翌2017年には独自の人権方針を策定しました。
FIFAが自ら人権への責任を宣言した組織であるという前提は、「スポーツウォッシング」を考えるうえで重要な視点になります。

スポーツの圧倒的な注目力が国家のイメージ戦略に使われるとき何が起きるのか。カタール2022を中心に、この問題の構造と実態を見ていきましょう。
「ホワイトウォッシング(白塗り)」という言葉から派生した造語で、2010年代以降、国際的に広く使われるようになりました。
スポーツウォッシングが成立しやすい背景には、スポーツ独特の特性があります。スポーツは感情に直接訴えかけ、国境を越えてファンを熱狂させます。大規模な国際大会が開催されれば、メディアの報道は試合の結果や選手のドラマに集中します。その熱狂のなかで、政治的・社会的な問題は意識の外に押しやられやすくなります。
重要なのは、スポーツウォッシングという問題が「特定の国だけの話」ではないという点です。開催国を受け入れ収益を得る組織、スポンサーとして名前を連ねる企業、そして大会を楽しむ私たちもまた構造の一部に位置しています。
2022年のカタール大会では、競技の面では「史上最高の大会」とも評されました。劇的な試合が続き、アルゼンチンとメッシの優勝に世界中が沸きました。しかしその一方で、大会の影もまた大きく世界に照らし出されました。
最大の問題となったのが、スタジアム建設に携わった移民労働者たちの扱いです。カタールでは人口の9割超を移民労働者が占め「カファラ制度」と呼ばれる雇用主への従属システムのもとで働いていました。この制度では、労働者は雇用主の許可なく転職することも国外へ出ることも困難な状況になります。ガーディアン紙の調査では2010年にカタールが開催権を得てから2021年までのあいだに、
インドやパキスタンなど南アジア出身の移民労働者を中心に、少なくとも6,500人が死亡したと推計されています。多くの死因は「心臓発作」や「自然死」とされ、調査も補償もなされないままでした。
FIFA委託の独立調査でも、「2010年から2022年にかけて深刻な人権侵害が実際に生じた」と認定されたことも印象的でしょう。FIFAがカタール大会で得た収益は75億ドルに上りましたが、補償基金は設置されず、移民労働者とその遺族への実質的な救済はほとんど行われませんでした。

舞台が変わっても人権課題がなくなるわけではありません。2026アメリカで浮上している問題と、すでに懸念が高まる2034サウジアラビアへの視線を整理してみましょう。
2026年大会はアメリカ・カナダ・メキシコの三カ国共同開催という史上初の形式で行われます。
人権団体が2025年末から繰り返し警告しているのは、アメリカの移民政策が大会参加者に与えるリスクです。激しさを増す移民取り締まりのなかで、選手・ファン・報道陣が不当な拘束や入国拒否に遭う可能性が懸念されているのです。実際、開催都市のひとつ・アトランタで、エミー賞受賞歴を持つジャーナリストが抗議活動を取材中に拘束され、強制送還されるという事態も起きました。
LGBTQコミュニティや移民コミュニティへのリスクを踏まえ、120以上の市民団体が大会への渡航に注意を呼びかける「トラベルアドバイザリー」もありました。FIFAがトランプ大統領に初の「FIFAピースプライズ」を授与したことも「FIFAが人権よりも政治的関係を優先した」と批判されました。
カタールとは種類が異なりますが、「場所が変われば人権問題もなくなる」という前提が成り立たないことを、2026年の大会はあらためて示しています。
2034年大会はサウジアラビアでの開催がすでに決定しています。
サウジアラビアは近年、スポーツへの大規模な投資を加速させています。F1グランプリ、プロゴルフのLIVゴルフへの資金投入、プレミアリーグのニューカッスル・ユナイテッドへの資本参加、そしてワールドカップ招致など豪華な施策の数々は国家戦略の一角を担います。
事実上の最高権力者であるムハンマド・ビン・サルマン皇太子は、あるインタビューでこう語っています。「スポーツウォッシングがGDPを1%押し上げるなら、続ける。気にしない」という言葉です。これほど率直にスポーツウォッシングを潔く認めた発言は異例ですが、同時にこの問題の本質が現れているとも見えるでしょう。
問題は開催国の姿勢だけではありません。
FIFAは2034年大会の開催権を、対立候補が存在しない事実上の無投票という形でサウジアラビアに付与しました。FIFAが自ら定めた人権デューデリジェンスの手続きが適切に行われたのか、多くの専門家や人権団体が疑問を呈しています。カタールから何が学ばれたのか問わざるを得ない状況です。

過去の問題を踏まえて、これからのワールドカップはどうあるべきか。FIFA・企業・ファンそれぞれの立場から、具体的なアクションを考えてみましょう。今年(2026年)のワールドカップを鑑賞する際もぜひ、下記の内容を少しだけ意識しながら見てみてください。
ここまで見てきた問題は重く、簡単に解決できるものではありません。しかし同時に、ワールドカップが持つ圧倒的な注目力こそが変化を生み出す力にもなり得るという視点を忘れてはならないでしょう。
カタールでの労働改革は、国際社会の継続的な批判と監視があったからこそ不完全ではあれ、実現しました。選手やファンの発信が世界的な議論を呼んだことも「スポーツの場での声は届く」という事実を示しています。
世界50億人以上が注目するイベントは、それ自体が巨大な「社会的なてこ」です。その力を使って人権課題への意識を高め、変化を促すことは、理念としてだけでなく実践的な可能性として存在しています。
FIFAが取り組むべき改革の方向性は、大きく3つに整理できます。まず求められるのは、開催国選定における独立した人権デューデリジェンスの義務化です。FIFAの人権方針には開催国選定時に人権リスクを評価するという原則が含まれていますが、カタールやサウジアラビアの事例が示すように、この原則は形骸化してきた経緯があります。独立した第三者機関による評価を制度として組み込み、選定プロセスの透明性を高めることが必要です。
次に、補償メカニズムの整備です。カタールでは大会収益75億ドルを得ながら移民労働者への実質的な補償がなされませんでした。大会収益の一定割合を人権侵害への救済に充てる仕組みを、開催決定の段階から制度化することが求められます。
そして、独立したモニタリングの継続です。大会期間中だけでなく、招致から閉幕後にわたる長期的な監視体制を設けることで「大会が終われば問題も終わり」というサイクルを断ち切ることができます。
FIFAはすでに人権への責任を宣言しています。問われているのは、その宣言を「仕組みとして機能させるかどうか」です。
これまでのスポンサーシップは、ロゴの露出やブランド認知の向上が主な目的とされてきました。しかし人権問題が可視化されたいま、スポンサー企業が人権侵害の現場と名前を並べることはブランドリスクに直結します。企業の姿勢が問われる局面は、今後さらに増えていくでしょう。
では、企業はどう関わるべきでしょうか。3つの方向性を提示します。
1つ目として、スポンサー契約に人権デューデリジェンスの条項を組み込むことが挙げられます。FIFAや開催委員会に対して労働環境の改善や透明性の確保を契約上の条件として求めることは、企業にとって実現可能な行動です。
カタールでは実際に、一部のスポンサー企業が補償基金の設立を公に求める声明を出しました。こうした動きは「企業が動けば変わる」という事実を示しています。
2つ目は、地域コミュニティや労働者支援のプログラムを共同設計することです。スタジアムを建てる人々、大会を運営する人々、地域で暮らす人々の生活改善に直接貢献するプログラムを、企業がFIFAや開催国と共に設計するのです。
スポンサーシップの社会的価値を具体的な形で示すことになります。「ロゴを出す」から「ともに社会をつくる」へのシフトです。
最後はファンや社会に向けた情報発信です。大会にまつわる人権課題をわかりやすく伝えるコンテンツを制作・発信することは社会の関心を高め変化を後押しする力になります。課題を伝えることはネガティブなメッセージではなく、ブランドとしての誠実さを示す機会でもあります。
スポーツへの投資を「CMの延長」としてではなく、「社会とスポーツをつなぐ長期パートナーシップ」として捉えたとき、企業の関わり方は大きく変わります。人権リスクを把握した上でFIFAや開催国に働きかける「共創パートナー」としての姿勢こそが、これからのスポンサーシップの理想の形といえるでしょう。
スポーツウォッシングという問題は、選手やFIFAや企業だけの話ではありません。大会を楽しむ私たち自身も、その構造の一部にいます。試合に熱狂しながら、同時に「この大会の裏側で何が起きているか」を知ろうとすることが変化を生む土台になります。
メディアの役割も大きいといえます。試合の結果や選手のドラマを伝えることと、人権課題を継続的に報じることは矛盾しません。むしろスポーツメディアがこの両方を扱うことで、ファンの関心の幅は自然と広がります。

ワールドカップは世界最大の「人が集まる場」です。だからこそ、人権という問題と最も緊張関係を持つ舞台でもあります。
カタールで移民労働者が置かれた環境、2026年アメリカでの移民コミュニティへのリスク、2034年サウジアラビアをめぐる懸念は個別の問題ではなく、スポーツの注目力と国家・組織の利害が交差するところで繰り返し生じる構造的な課題です。
スポーツウォッシングを「見抜いて終わり」にするのではなく、大会のたびに問い続けること。その積み重ねが、ワールドカップを「フットボールが世界をひとつにする」という理念に少しずつ近づけていくはずです。100年後のワールドカップが誰のための大会であるかは、いまの私たちの関わり方によって変わるのではないでしょうか。
早稲田大学文学部社会学コース卒業。「環境」と「教育」を軸に暮らしと社会の接点を紡ぐフリーランスライター/ディレクター。メディア記事の執筆だけでなく、企画設計や構成、インタビュー、編集ディレクションまで一貫して手がける。ジェンダーやケア、感情のグラデーションといったテーマにも関心が深く、「誰かの違和感をことばにする」ことを大切にしている。

ポイント
「スポーツウォッシング(sportswashing)」とは、国家や政権が自らの負のイメージをスポーツの人気や注目度を利用して薄めようとする戦略のこと