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2026年10月1日から、カスタマーハラスメント(カスハラ)への対策が、すべての事業主の法的な義務になります。2025年6月に公布された改正労働施策総合推進法によるものです。
この対策を「単なる一つの法改正」だと思ってしまうと、人事担当者の方や労務担当者の方にとってはもったいない話になります。カスハラ対策義務化は企業の人事・労務の話にとどまりません。接客や窓口で働く人の心身の健康、離職や人手不足、そしてサービスを受ける側である私たち自身の振る舞いにも関わる問題といえるでしょう。
働く人が安心して働けることは、持続可能な社会を支える基盤の一つでもあります。この記事では、カスハラ対策義務化の内容を整理したうえで、それがウェルネスやディーセントワーク(働きがいのある人間らしい仕事)とどうつながるのかを解説します。

まず押さえておきたいのは、施行時期と対象範囲です。この義務は大企業だけのものではなく、労働者を雇うすべての事業主に適用されます。ここでは、根拠となる法律、対象範囲、そして義務を守らなかった場合にどうなるのかを確認します。
カスハラ対策の義務化は、改正労働施策総合推進法(令和7年法律第63号)によるものです。この法律は2025年6月4日に成立し、同月11日に公布されました。施行は2026年10月1日です。
労働施策総合推進法は、2022年からパワーハラスメント防止措置を全企業に義務づけてきた法律でもあります。今回の改正では、その同じ枠組みに「カスハラ」が新しく追加されました。すでにパワハラ対策で相談窓口を整えている企業は、その土台を広げる形で対応できます。
法律そのものは大枠を定めるにとどまり、企業が実際に何をすべきかは厚生労働省の指針で示されます。
カスハラに関する指針は、2025年12月に案が公表され、パブリックコメントを経て2026年2月26日に正式に策定されました。実務では、法律と指針の両方を確認する必要があります。
カスハラ対策義務化に刑事罰(罰則)はありません。しかし、措置義務に違反した事業主は、報告徴求命令、助言、指導、勧告、そして企業名の公表の対象となります。パワハラ防止措置と同じ仕組みであり、刑罰ではないものの、企業名が公表されれば社会的な影響は大きいといえるでしょう。

現場でもっとも迷いやすいのが「どこからがカスハラか」という線引きではないでしょうか。正当な苦情まで拒む対応になれば、サービスの改善機会を失います。ここでは、法律上の定義と、正当なクレームとの違いを整理します。
改正法におけるカスハラは、顧客や取引先、施設の利用者など事業に関係する人の言動であって、社会通念上許容される範囲を超えたものにより、労働者の就業環境が害されることと定義されています。
① 職場において行われる、顧客、取引の相手方、施設の利用者その他の当該事業主の行う事業に関係を有する者の言動であって、
② その雇用する労働者が従事する業務の性質その他の事情に照らして社会通念上許容される範囲を超えたものにより、
③ 当該労働者の就業環境を害すること
引用元:政府広報オンライン
つまり、①行為者が顧客等であること、②社会通念上許容される範囲を超えていること、③労働者の就業環境が害されること。この3つがそろって初めてカスハラに当たります。
重要なのは、商品やサービスへの正当な指摘はカスハラに含まれないという点です。政府広報でも、社会通念上相当な範囲での正当なクレームはカスハラに当たらず、商品やサービスの改善につながれば社会にメリットをもたらすと説明されています。
問題になるのは、内容そのものではなく伝え方や態度です。継続的で執拗な言動、威圧的な言動、人格を否定する発言などが、典型的な例として挙げられています。

ポスターを貼って終わり、社内メール等で通知して終わりではなく、方針を示して相談を受け止め、実際に起きたときに組織として対応する現場対応力が求められます。この一連の流れを仕組みとし設けるために何が重要かを紹介します。
まず必要なのが、カスハラには毅然とした態度で対応し、労働者を保護するという方針を明確にし、社内へ周知すること。社内報やパンフレット、社内サイトなどに方針を記載して配布することが効果的です。しかし、現場の判断に任せるのではなく、会社としての姿勢を先に示すことが出発点になります。
相談を受け付ける窓口を設け、相談したことで不利益な取り扱いを受けないようにすること、相談者のプライバシーを守ることも求められます。
被害が起きた後の対応も同様です。当事者への配慮や、再発を防ぐための対応が必要になります。
また、可能な限り労働者を一人で対応させないこと、必要に応じて管理監督者などが代わって対応することなども重要です。法的な手続きが必要な場合には、法務部門と連携して弁護士に相談することが実際に国からも推奨されています。
現場の担当者が一人で矢面に立たされるような構造にしないようにしましょう。

ここからは、この法改正を「働く人の健康(ウェルネス)」という視点から捉え直します。カスハラは身体的な被害が見えにくい一方で、精神的な負荷が蓄積しやすいハラスメントです。実際にどのようなストレス・課題を生むのかを見ていきましょう。
カスハラの多くは、暴言や威圧的な態度、執拗な要求といった形をとります。一度の出来事では大きな傷に見えなくても、日常的に繰り返されれば、働く人の心理的な負担は積み重なっていきます。
しかも接客の現場では、被害を受けた直後に次の顧客への対応が始まります。感情を切り替える余裕がないまま働き続ける状況が、負担をさらに大きくします。
カスハラが放置された職場では、働き続けることそのものが難しくなります。離職が増えれば、残った人の負担がさらに増し、採用も難しくなるという悪循環に陥ります。
人手不足が続く業界にとって、カスハラ対策は「余裕があればやること」ではなく人材を確保するための前提条件になりつつあります。
近年、企業には従業員に関する取り組みを情報として開示することが求められるようになりました。健康経営や人的資本経営という言葉が広がったのも、その流れの中にあります。
カスハラ対策は、従業員の安全と健康をどう守っているかを示す具体的な指標の一つです。法令上の義務を満たすだけでなく、企業の姿勢を示す取り組みとして位置づけられます。

カスハラ対策はSDGsの目標8の実現に直接関わる課題です。ここでは、ディーセントワークとは何かを確認したうえで、カスハラの放置がなぜ持続可能性の問題になるのかを順に見ていきます。
ディーセントワークは、ILO(国際労働機関)が1999年に提唱した概念で、日本語では「働きがいのある人間らしい仕事」と訳されます。
単に職があればよい、賃金が支払われていればよい、という意味ではありません。権利が守られ、安全が確保され、人としての尊厳を保ったまま働けること。この条件がそろって初めてディーセントワークと呼べます。
SDGsの目標8「働きがいも経済成長も」は、この考え方を土台にしています。
目標8のターゲットには、すべての労働者の権利を保護し、安全・安心な労働環境を促進することが掲げられています。
ここでいう安全とは、事故や有害物質から身体を守ることだけを指しません。暴言や威圧的な要求にさらされない環境、つまり精神的な安全も含まれます。
カスハラを放置した職場は、身体的には安全でも、精神的には危険な状態が続いていることになります。人としての尊厳を保って働けない以上、ディーセントワークの条件を満たしていません。
カスハラの被害は、小売、飲食、交通、医療、介護、行政窓口など、人と直接向き合う仕事に集中しやすい傾向があります。顧客と対面する機会が多く、その場で判断や謝罪を求められる場面が多いためです。
これらは社会の生活基盤を支えるエッセンシャルな仕事でもあります。つまり、生活に欠かせない仕事ほど、働く人が精神的な負荷を引き受けやすい構造になっているのです。
この構造を放置すると、何が起きるでしょうか。
働き続けることが難しくなれば人は辞めていきます。人が減れば残った人の負担が増え、さらに離職が進みます。採用も難しくなり、最終的には店舗や路線、窓口といったサービスの維持が難しくなります。
働く人の環境が壊れることは、そのサービスを利用する社会全体の損失になる。カスハラ対策が持続可能性の問題である理由は、ここにあります。

最後に、私たち自身の側の話です。カスハラは企業の対策だけで消える問題ではありません。サービスを受ける立場での振る舞いを見直すことが、働く人の環境を変える最も直接的な方法でもあります。
対価を払った側が上位に立つという感覚は、長く日本の接客文化に残ってきました。しかし、サービスの提供者と利用者は本来対等な関係です。
支払った金額は商品やサービスへの対価であって、相手の尊厳に対する優先権ではありません。この前提を共有することが、カスハラを減らす土台になります。
サービスに問題があったとき、黙って我慢する必要はありません。改善につながる指摘は、企業にとっても社会にとっても価値があります。
大切なのは伝え方です。何が起きたのか、どうしてほしいのかを事実として伝えれば、対応した人を傷つけずに問題を届けられます。声を荒らげることや、繰り返し責め続けることは、問題解決を早めません。
問題があったときだけ声を上げ、良い対応には何も言わない。この非対称さが、現場の消耗を大きくしています。
丁寧な対応を受けたときに一言伝える、アンケートに具体的に書く。こうした小さな行動が、働く人の実感を変え、良い対応を続けやすい環境をつくります。

2026年10月1日から、カスハラ対策はすべての事業主にとって法律上の義務になります。方針の明確化、相談体制の整備、一人で対応させない運用など、企業には具体的な対応が求められます。
ただし、この法改正が目指しているのは、企業に新しい負担を課すことではありません。働く人が精神的な安全を保てる環境をつくり、生活を支えるサービスを持続させることです。
持続可能な社会というと、環境や資源の話として語られがちです。しかし、人が働き続けられる環境を維持することも、同じく持続可能性の問題です。人が辞めていく職場では、どれだけ優れたサービスも続きません。
働く人を守ることは、そのサービスを利用する私たち自身の生活を守ることでもある。カスハラ対策の義務化は、その当たり前を制度として確認する一歩だといえます。
